友人から届いた知らせ?★
友人とはNaさんのこと、そしてNaさんとは別の友人のことを語ります。
もう一人の友人
その友人と一緒にスケッチしているとき、こんな話をしたことがあります。なぜスケッチが楽しいのか?
”描くことも楽しいけど、その場所にいることが心地イイのかもしれない”とワタシは答えたのを憶えています。
誘われて大阪にある長居植物園にスケッチに行ったとき、ワタシは何を描いたかなあ、ヒマワリだっけ? その友人は大きな石を描きながら、
”植物園に来てまで石を描くなんて、どーだろうね”…なんて苦笑いしてました。
その友人は大学で知り合いました。当時はまあ、ふつうの友だち、メチャ仲良しって訳ではありません。
その友人は学生のころから、精力的に100号とか200号などデカイ油彩、アクリルだったかな? 描いては公募展に出してました。
テキトーな学生だったワタシからすると、ちょいと眩しいようなスゴイやつがいるなあ…なんて思ってました。
それから月日は過ぎ、大学を卒業し仕事を持ちそれぞれの人生を歩み、しばらく縁は遠くなりました。
スケッチを始める
ワタシがスケッチを始め、そのとき同じ大学時代の友人Naさんと一緒にスケッチするようになりました。Naさんとその友人は、けっこうつながりがあって、Naさんを通じてその友人と再び会うようになったのです。
滋賀の堅田、仰木、水性植物園、神戸の工場街など、いくつか一緒にスケッチしたこともあります。その友人がどんなスケッチをしていたのでしょう、堅田の琵琶湖に面した家屋の一角にある小さな祠を描いてたのを憶えています。
スケッチばかりしているワタシに、こんなことも言ってました。
”ボクは、まだしばらくは、頭の中にあるモノを描くことにする”
その友人が神戸で個展を開いてからのち、鶴橋の焼肉店でのこと、こんなことを聞かれました。
”この前の個展のとき、うちのヨメさん、どうやった?”
個展を見に行ったとき、その友人の奥さんがお茶を入れたりして接待してくれてたのです。その奥さんも大学時代の友人です。
”うちのヨメさん、どうやった?”
…と聞かれてもなあ…と同席してたNaさんは答えに困ってました。ワタシは、
"たまたまその時、絵が売れたからかもしれないけど、旦那が個展を開いたことが、とても嬉しそうに見えた"
って答ると、その答えはビンゴだったのでしょうか その友人は、”さすが”って言いましたね。
時折、メールじゃなくて手紙を送ってくれました。イラスト入りの近況などをね。
その友人は、とにかく描くことが好きで、描くことが生活の中心にあったヤツです。ワタシの何倍も何倍もたくさん描いてきたヤツです。画会で賞を取ったりしてます。
エピソード
- 韓国旅行、警官からの取り調べ…
- スキーに行ったときのウェアがスターウォーズ反乱軍兵士に似てる…
- 仰木スケッチ会行きのタクシーを降りてからの毒舌…
なぜ、もっといろんなエピソードを憶えていないのかなあ、悔しいなあ…
ワタシが仕事には復帰してもメンタルはダメで描かずに引きこもっていたころ、Naさんから届いたのは…
その友人が亡くなったという知らせでした。
…つづく