描くことができなくなる★
シーズン1とん2の間に空白があります。3年間、絵を描かない時期があったのです。
美術系大学
ワタシは美術系大学を出ています。デッサンも学びました。油彩、平面デザイン、立体デザイン、彫塑、版画、その他いろいろ学びました。幅広く浅く学びました。
いや学びましたというほど熱心な学生ではなかったですね。怠惰な学生でした。それと透明水彩は学ばなかったに等しいです。
それでも自分で言うとエラそうで申し訳ない、ある程度描けちゃいます。そりゃスケッチ始めたころはグダグダですが、描き続けるとコツやら感覚を思い出し、デッサンやってたアドバンテージもあり、学習スピードも速いのです。
ある程度描けるようになって写生会に行くと、上手いね〜なんて周りから言われて、イイ気になってたイケすかない奴でありました。
そうなると、なんとなく周りからあの人は"描ける"なんて思われて、失敗できなくなるのです。余計なプライドから写生会では上手く描かなくちゃいけない、ほめられる絵を描かなくちゃいけない、失敗はできない…とプレッシャーが高まっていくのでした。
少佐の言葉
SNSで絵を投稿してました。そのころネット友だちのKn少佐が、失敗作でも自分の作品は公開した方がいい…というようなことを言ってました。
そんなこと言われても、みっともない作品は公開できないよ…なんて当時は少佐の言葉を深く考えもしません。ダメだ失敗したと言いながらも、ある一定の水準以上の作品をネットで公開してました。
投稿する作品を取捨選択しているうちに、自分の中で水準が高くなります。向上心とでも言うのですか、そういう心の動きはで全てを否定すべきではないのですが、向上心は劣等感とセットになって心を支配しようとします。その二つをうまくコントロールできると、自分の成長につながります。でもそれができないと自分や他人を否定し傷つけることになりかねません。
今はこのように考えるようになりましたが、当時、自分を傷つける方向に心が動いたように思えます。
それと俗に言うSNS疲れも重なり、イイ絵を描かなくては…という焦る気持ちはドンドン大きくなって行きます。
ダメな絵もそのときの正直な自分、それを伏せることは自分を偽り続けることでもあります。そうこうしているうちに描く楽しみを失ってしまいました。
少佐は、このことを予見していたのかもしれません。
フリーズ
本職のほうでも行き詰まっていました。今でいうブラック状態が何年もつづき、次第にそれまでのやり方が通用しなくなり、何をしても仕事がうまくいかないのです。
そして自分がフリーズします。
何もできなくなりました。ストレスを発散させ気分転換に役立っていたスケッチも、プレッシャーで楽しめなくなりました。散歩がてらにコーヒーを飲みに喫茶店に行くこともできません。人と会うのも苦痛で休日は引きこもり状態になり、仕事もしばらく休むことになりました。
今振り返ってもなぜそうなったのかよくわかりません。いろいろなことが積み重なった結果だと思います。ここに記したことも断片的です。自分の状況がどうたったのか客観的に記すほど整理できていません。
2013年から3年ほど描かずに過ごしました。
そして2016年4月30日、大阪枚方の山田池公園でスケッチを再開します。なぜ、再開することができたのか、そのキッカケは?
つづく…
こっちも見てね…