★徒然スケッチ紀行♪桜スケッチしているところに届いた知らせは…
2020.4.11 BicycleSketch-osakacastle-cherryblossoms-OBs
・お題は…
薩谷和夫さんと手塚治虫先生と友人と…
薩谷和夫さんという美術監督がお亡くなりになったとき、けっこうショックを受けました。30年近く前のことです。
薩谷さんはずーっと大林宣彦監督の映画で美術を担当されてました。面白いのは薩谷さんが手がけた大林映画には必ずと言っていいほど、作中のどこかにご本人が登場するのです。
つい最近、原田知世さん主演の“時をかける少女”が地上波で放映されました。映画の中、弓道部で、知世さんに声をかける顧問の先生、それが薩谷さんです。
薩谷さんがお亡くなりになったとき、同じ大林ファンである友人のIkさんと一緒に大林映画を全てをビデオでみなおし、薩谷さんの出演シーンをチェックしました。ワタシたちなりのささやかな供養です。
今、振り返るとIkさんは、ショックを受けたワタシを気づかい彼なりにいたわってくれたのだと思います。
その数年前、手塚治虫先生がお亡くなりになりました。Ikさんは、大の手塚ファン、ファンというより研究者と言ってもいい、手塚治虫先生についての造詣は深くその辺の評論家、専門家顔負けです。
Ikさんは、そのころ手塚作品のほとんどを読み、読んでないのは数えるほどだと言ってました。実はこれ、とんでもなくスゴイことなのです。
手塚先生は、その作品が単行本化されるたびに描きかえるのです。また人気ありますから、同じ作品が出版社をかえて再販されることがよくあります。そしてそのたびに手塚先生は描きかえるのです。
なので同じタイトルでも小学館版と光文社版が内容が少し違う…なんてこともよくあるのです。
Ikさんは、絶版でなかなか手に入らない作品も多数あるなか、出版社ごとに全作品を読みつくして残るはあとわずかというところまで来てたのです。
そんなIkさんですから、手塚先生がお亡くなりになったときのショックは計り知れません。
ところがワタシは、彼の心中を察することができなくてね、薩谷さんがお亡くなりになったとき、自分がショックを受けてから、彼の悲しみの深さ、彼の優しさに気がついたのです。
あのときもっと彼をいたわり彼の気持ちを聞けばよかったと、今も悔やまれます。
手塚先生の死はトップニュースで流れ、多くの知識人、芸術家、あらゆるジャンルの人たちがその死を嘆き、手塚先生について語りました。
それからしばらくしてからのこと、Ikさんは手塚先生をリスペクトしたお芝居を発表します。Ikさんはお芝居を作る劇作家であり演出家でもありました。
当時、彼は手塚先生の死について、あまりにも近い存在だったので、冷静に語ることなどできなかった…と言いました。そしてずいぶん時間が過ぎてようやくひとつのお芝居を書き上げたのです。気持ちの整理がついた…いややっとつきはじめたのでしょう。
大林宣彦監督
△ ホワイトアイビス 121×333mm 水彩
大阪城公園でさくらスケッチをしている途中、大林宣彦監督がお亡くなりになったことを知り筆が止まりました。
ワタシは大林監督の商業デビュー作"ハウス"からのファンであり、この映画に出会ってなかったら今の人生は違ってたでしょう。
監督の代表作に"その日の前に"という映画があります。余命を宣告された妻とその最後の時間を大切に過ごす家族の物語です。その映画で問われたのは、人は誰でもその日の前を生きていると言うこと…だとワタシは思いました。
そして監督は2017年に“花筐”という映画を撮り公開しています。この映画の撮影が始まろうとしているとき、監督はステージ4の肺ガンで余命3ヶ月と診断されます。それでも現場に立ち撮影をつづけ映画を完成させました。
それから3年後、もう一本映画を完成させます、驚きです。でも新作が公開されるという日に他界されたのです。
ワタシは薩谷さんがお亡くなりになった時もショックでしたから、大林監督にもしものことがあったときは自分はどうなるのか不安でした。
スケッチの筆が止まりました。集中して描くことができません、しばし立ちすくみ、そしてその場をウロウロします。
でも心のどこかでワタシは、その日の前を生きてきたのだと思います。
ここでやめてはいけない、つたない絵だけど描くしかない…と思うことができたのです。
監督、長い間、ありがとうございました。
安らかにお眠りください。
いや、きっと眠ってなんかいないでしょう。虹の向こうで薩谷さんや峰岸徹さんと新作の構想を語り合っているのでしょうね…
スケッチ俳句
星が消えサクラ散り言葉は残る
mixiをやってまして、そこに薩谷さんの登場シーンをまとめた記事を残しています。
…おしまい
こっちも見てね…
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