スケッチが止まらない★スキマ時間に水彩絵ハガキ…そして少し語ります♪
2019.3 奈良公園にて
・お題は…
スキマスケッチ、托鉢僧を描く
ヴィファール ハガキサイズ 水彩&ボールペン
我ながらあきれます。ここまでして描くのかと…
講評会まで少30分ほど時間があったので絵ハガキスケッチと思い、周りを見渡すと橋の上に托鉢僧の姿が…
サッサか描きました。あまりの急ぎにワタシ的にはこれでいいのか?が20コつくのですが、インスタでは無事"いいね"をいただき励まされてホッとしております。
自信の無いスケッチ
少佐の言葉を思い出す
ずーっと前、mixiで水彩スケッチを投稿していた第1シーズンのころのこと、
失敗したダメだと思った作品も投稿した方がいいよ…てなことをマイミクの"少佐"が言ってました。
その頃は、ふーん、そうなのかなあ?ぐらいしか受けとめてなかったのですが、後々その意味を考えさせられることになるのです。
描きはじめのころはあまり考えなかったけれど、ある程度描き続けると失敗作のアップをためらうようになりました。自分で納得できないモノを人様に見せてどうなの? ダメダメを公開するのは恥ずかしいなどシンプルな気持ちです。
そりゃ納得できるスケッチなんて簡単には描けないです。ここで言う納得は、やることはやった感や思った通りの結果じゃなかったけどこれもアリ? これで許してください…程度の納得です。
ところがアップするしない…と分けているといつのまにか失敗はできないという思い込みにとらわれ始めます。それがネットだけではなくリアルでも、その気持ちが大きくなってきたのです。
スケッチ会に参加したとき最後の講評会である程度の結果を出さないとカッコつかない…なんて思い始めました。
今から思うとたいしたモノ描いてないのに、なんとチョコ才な薄っぺらプライドであります。
でもね、一時、描くのがイヤになったのは、これが要因の一つだったのです。
ダメなのも自分です。そのダメさを隠すことはけっこうストレスになるようです。
自然体で描く
人には向上心ってモノがあって今より良くなりたいって思うのは自然なことだそうです。だもんで、またワタシの薄っぺらなプライドがアタマをもたげるかもしれません。
でもね、ダメなスケッチを描いたときも臆さずアップすれば自然体でいられるような気がするのです。それをジャマするのは案外、自分の立場かもしれません。
ダメだ…と思ったスケッチも、アップしてみると意外と"いいね"をいただいたりして、リップサービスもあるかもしれないけれど、それを素直に喜ぶようにしています。
ホントは描くことは誰にとっても楽しいことなのに、楽しめないのはいろんなしがらみ、それまでの経験、他人の目…などに惑わされているのでは?
ここらで一句…
17音の言葉遊び、へなちょこスケッチ俳句です。
迷える三月、
読経がふりそそぐ
こっちもみてね…
つづく…